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限界を押し上げる男! 室井登喜男の新課題「伴奏者」、グレーディングはなんと五段(V15)
「伴奏者」を登る室井登喜男
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今だ余人の再登を許さない日本最高グレード四段を初登した男、緻密なトポ集の発行やパッドを使わないスタイルでも知られるその男、その名は御存じ室井登喜男。 しばらくの間怪我によるブランクで表舞台から遠ざかっていたこの男が、2001月12月9日衝撃的な復活を果たした。
彼がさらなる未知の世界に足を踏み入れる事に成功したその課題は「伴奏者」。 本人のグレーディングによればなんと五段(V15)、グレードも分かっているだけで日本最高でしかも初、これがもしVグレードでV15と確認されれば世界最難クラスの課題のひとつという事にもなる。 これだけで十分凄いのだがさらに驚くのがその壁の形状、これほどの超高難度にくわえてなんと極限のバランスと集中力が試されるスラブなのだ。 まさにトキオワールド真骨頂といった感じ。
はたしてこのスラブの五段を再登できるボルダラーはいつ現れるのだろうか? しかもこの初登者は精神的に大きな安心材料になってしまうパッドを使用していないのである。 なお、この初登の模様は来年イグニアスより発売予定のビデオに収録される予定という事だ。
今回の特集はその室井による手記を紹介しよう。
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室井登喜男手記 |
by 室井登喜男
(写真はすべて藤原 亮)
着目したのは、1998年の秋。
しかし、翌99年までは、時々トライする程度で、漠然とした可能性しか見えなかった。その可能性が現実的なものになったのは、2000年の正月に「頭痛」(編柱:98年に草野俊達により初登された小川山の課題、三段)を第二登し、スラブクライミングの自信を深めてからだ。まさに「頭痛」を登ったその時に、隣に位置するこのプロジェクトが、美しく魅力的に見えた。この極限のフリクションを必要とする課題は、秋から冬の乾燥した時期にしか可能性を開いてくれない。正月以降、小川山はオフシーズンになり、トライを再開したのは2000年の10月。 このときにムーヴの8割を完成し、いよいよ11月から12月にかけての完成が現実味を帯びてきた。ところが、11月上旬に、不注意からひどい怪我をして、数ヶ月にもおよぶブランクをつくってしまい、せっかくのシーズンを棒に振ってしまった。怪我の後遺症が残り、足首は以前よりも柔軟性を失い、スメアリングに不安を残す結果となった。
しかし、2001年に復帰し、ビデオの撮影のために、過去の課題を再登しているなかで、次第に調子を取り戻し、「地獄変」(編柱:99年に室井により初登されたこれまでの日本最難課題の一つ、四段)や「頭痛」を再登することもできた。
10月から本格的にプロジェクトのトライを再開する。 だが、残り2割のムーヴは、なかなか解決できず、10月、11月はムーヴの分析に時間を費やした。数ミリのへこみや結晶を駆使するため、岩の表面を舐めるように探って、いくつかのホールドをピックアップしては、トライし、使えそうなものとそうでないものを取捨選択していく作業だ。
12月。徐々に雪が降り出し、残りの日数も減って、時間との勝負になった。12月9日に、ついにすべてのムーヴを解決したが、条件はけして恵まれていない。氷点下2度の条件下では、筋力が低下し、シューズのフリクション性能が落ちて、乾燥し過ぎて、指も弾かれるようになってきた。ただ、幸いなことに、この課題は瞬発的な筋力をほとんど必要としない。登る前に少し指を湿らすことで、弾かれることもカバーできた。
完登したときは、まさに限界だった。最後のマントルに入るときは、指が乾燥しきって、弾かれる寸前だった。しかし、手足の指に全神経を集中して、数ミリのへこみや結晶を捉えるときは、驚くほどスムーズに、思い描いた通りに体が動いた。実に理想的なクライミングだった。ボルダーの上に立ったとき、緊張がどっと解れて、そのままそこにうずくまってしまった。課題は「頭痛」の左に位置するゆるいカンテライン。課題を一言で言ってしまえばスラブだが、カンテを登るため、いわゆるジワジワしたフリクション・クライミングだけではすまない。ゆるいカンテはレイバックの力が必要になるし、トゥーフックやハイステップといった多彩なムーヴのシークエンスがあり、最後は高いマントルになるため、総合的な能力を問われる。
課題に沿うような形で一本の木が生えている。これは、背後に落ちたときの恐怖感を与えるが、この木があることによって、ホールドを探り、ムーヴを分解して解決することができた。課題に寄り添うこの木を、僕は「伴奏者の木」と呼びたい。
「冬の日」よりも明らかに厳しく、「頭痛」よりも2ランクぐらい上と感じたので、五段とグレーディングした。VグレードでおそらくV15になると思うが、Vグレードの体感的な経験が少ないので、はっきりとは分からない。四段の課題が少ない状態で、五段を確認するのは、正直なところ難しい。今後のボルダリング界のレベルアップの中で、自然に確認されていけばいいだろう。
4年がかりで、ひとつの課題を征し、限界を押し上げることができた。時間をかければ、きっとまだまだ多くの可能性をいたるところに見出すことができる。今はこれが限界だが、限界はまだ押し上げることができる。この課題の完成は、僕にとって新たな課題へのスタートサインだ。
(終わり)
赤が「伴奏者」のライン |
右: 完登後、感慨にふける室井登喜男 |
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