コラムNo.1ボルダリングが時代を握る

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ボルダ−グレードが変だ!

人工壁ボルダリングコンペにリーチ別階級制を導入するか?

ボルダリングコンペのルールはボルダラーが決める。

従来のフリークライミングコンペの大きな問題点あれこれ

ボルダリングが優れていると言う理由

 日本に本格的な商業クライミングジムが出現してはや数年、いまや首都圏には「ホントにこんなに必要か?」と思うくらいジムがニョキニョキと生えている。最近は一頃見られた人工壁に対する偏見もだいぶなくなり多くのクライマーがその恩恵を素直に享受している、ボルダ−エリアでのみひたすらトライに明け暮れる経済効率の悪い私達専業ボルダラ−も近頃はリードクライマーよりでかい顔ができるようになってきた。(私だけか?)

ボルダ−グレードが変だ!

 ところで皆さん、最近あれ?と思ったことはない?
 そう、ボルダ−グレードですよ!グレード!だんな!
「あたしい、週に2〜3回はジム通いしてるのにい、ちいっともうまくならないのお〜、あたしってえ〜、才能ないのかもお〜」
 なあんて言ってるあなた!それは大間違いかもしれないのだ。実は、かく言うわたしもその一人だった。わたしの場合、とある有名なジムがまだ本店しかなかった数年前、当時そこのボルダ−で登れた上限グレードと、
数年後におとずれた同系列の店とで登れた上限グレードがほとんど変わらなかったのだ。
 わたしも自分の力くらいだいたい知っているつもりだ、昔のわたしと今(当時)のわたしじゃチト違う、肉はついたがパワーもついた、当然疑問に思ってまわりのボルダラ−達数人の意見を聞くと、他のジムがホームグラウンドの人の多くがやはり同じように感じていたことがわかった、どうやら気のせいではなかったらしい。(ああ、よかった)

 その中には現在日本のトップボルダラーであり、まだまだ数少ないフォンテ−ヌブロー経験者でもある室井トキオもいた。(ちなみに彼はブローの7c+も楽に登る、今では自然の石においては世界レベルでもトップクラスに入れるボルダラ−に成長した。だのになんでコンペじゃ??) しかしその彼も同じように感じていたらしい。これはなぜか? 答えは簡単、そのジムのグレードはそれを決める人達の進歩とともにいっしょに辛くなってしまったのだ。 私はこれは特に誰が悪意をもってやっているわけではなく、そのジムの中心客層もしくは実力者の上限グレードに全体のグレードが引き摺られてしまう事がもっとも大きな原因と推定している。つまりこうだ。普段ほとんど7以上のクラスしか真剣にやっていない人で4〜5クラスのグレードがはっきり区別のつく人などだということだ、普段気をつけているつもりの私でさえ最近では6b以下のグレードは団子状態でよくわからないのが正直な所だ、

というわけで私の場合、新しい課題を初登した場合、できるだけそのクラスを中心にトライしている人達に確認してもらうようにしている。しかし問題なのは実力者でありながら他人の意見を聞こうとしない人である、周りの人達は彼が実力者ゆえに「◯◯さんが6aと言うんだからこれは6aなんだろう」と疑問に思いながらも納得してしまうのだ。こうして際限のないグレード感覚の麻痺が始まる。これがもし100m走で競技場によって距離が101mだったり、99mだったりしたら、あなたはどう思うか? 現代スポーツにとって難易度の指標がはっきりしない事は致命的な欠陥となるのだ。
 これからボルダ−グレードのジム間格差がさらに問題になっていくだろう、帰ってきたフォンテ−ヌブロー組みの多くが日本のジムのボルダ−グレードが異常にカライことを指摘している、グレードを決める際には一部の上級者任せにするのではなく、そのクラスを中心にトライする人達の多くの意見を聞く配慮が常連さんやジム管理者にもさらに必要とされるかもしれない。

 この原稿を執筆中にJFA(日本フリークライミング協会)の機関誌「フリーファン」上、グレード委員会の99年の活動予定が発表されており、各ジムで異なるボルダ−グレードの見直しをするととれる内容があったが、委員がかの平山ユージ氏である事を考えるとここで書いたような点によほど注意しなければさらなる混乱を招く結果になりかねない、彼のようなビッグネームに言われたら、たとえ本人に悪気はなくとも相手がつい納得してしまう事は十分あり得る話だからだ。 (人選からしてこれがJFAの狙いか?)この点をJFAには特に注意して頂きたい。

人工壁ボルダリングコンペにリーチ別階級制を導入するか?

 ボルダ−グレードが安定しないもうひとつの原因といえるものはズバリ身体条件の違いによるグレード感覚の違い。もっとも顕著な条件は皆さん御存じのようにリーチの違いだろう。(体重は努力してね)これはム−ブが格段に困難になる短いボルダ−についてはリード以上に大きな差になって現れる。はっきりいって身長150cmの人間と190cmの人間が同じグレード感覚のわけがない、まあ「そんなの当たり前、努力で登れない課題があるのもボルダリングの面白さ」という意見も根強いが、それは自然壁での話し。 いままではクライミングが登山の一部だった時代からの流れで、「登攀とは人類が自然に出来たデコボコをよじ登って頂上に辿り着く事である」という大前提のもとに、150cmも190cmも人類として同じ土俵で競い合ってきたのだ。じゃあ競技クライミング、ことにボルダリングではどうか?自然の石については今もこれは変わらないと思うが、人工壁でのコンペは「人類が自然に出来たデコボコをよじ登って頂上に辿り着く」ことなのか?いや違う、それを模しているのだ。

ここでよく考えてみよう、コンペのほとんどが人工壁で行われている現在、なぜいまだに自然壁の模倣を続けているのか?「己の能力を最大限に発揮し、困難な課題を克服すべく競い合う」これが競技としてのボルダリングの姿だろう。これはそのまま現代的な多くの競技スポーツに共通する事だ。これを実現する為にもっとも大事な要素がある、それは何よりも「フェアであること」である、はたして150cmの人間と190cmの人間がものすごいランジの課題で順位を競うことがフェアと言えるのか? 190cmの人間が体を伸ばし切ってやっと保持できる極小ホールドを150cmの人間はランジして片手でぶら下がらなくては同じレベルと認められないのだろうか?実は私自身は身長公称177cm(椎間板がつぶれて低くなったかもしれないが)日本のボルダラ−としては恵まれた方に属すると思う、これまでのボルダラ−人生の中でデカイが故の難しさもいろいろ味わってきた、ものすごく低い位置のあまいアンダーホールドなんかが出てくるとやさしいはずの課題なのに壁から重心が離れて地獄の責め苦状態だ。

それでもトレーニングで保持力を高めることで弱点を補ってきた。
 しかし、物理的にリーチが足りない人の場合、しかもランジじゃ止まらないホールドはどうするのか?

1. 指を鍛えて握力2000kgになるまで我慢する。

2. 体重2gになるまで減量してヒラヒラ飛ぶ。

普通どっちも無理だ。

 大きなヤツに合わせれば小さなヤツに不利になる、小さなヤツに合わせれば大きなヤツに不利になる。そんな状態で各人の順位が決まる、私よりも明らかに身体能力の高い者がもって生まれたリーチの差で負ける。自然への挑戦である自然壁なら当然かもしれないがスポーツとしてフェアなはずの人工壁コンペではこれはいただけない。少なくともクライマーと違い一般の観客にはそれはただの順位の違いとしか映らないのだ、
 
彼等は思う「あの人はこの人より劣っているんだろう」と。実力者が身体条件で勝てないようでは競技スポーツとしてフェアだと言えないのではないだろうか?
 そこで持久力で差をつける事の難しいショートボルダ−でこの問題を解決する唯一の方法、それは人工壁コンペにリーチによる階級制を導入することだ。ただし自然壁の課題については前序のように「人類が自然に出来たデコボコをよじ登って頂上に辿り着く事」のままなので
身長何センチだろうが今までどおり「無差別級」扱いか、グレード併記なども考えられる。

 

ボルダリングコンペのルールはボルダラーが決める。

 私個人の概念だが、ボルダリングは落ちても死なない高さの岩を登るからボルダリングなのだ。(落ち方によるが)よく似たスタイルにフリーソロがあるが、フリーソロが一回でも落ちるとただではすまないのに対してボルダリングは基本的に何度でもトライできる、ここがボルダリングとフリーソロの決定的違いである。そしてこれがそのままボルダリングが他の多くのクライミングとも違うポイントでもある、  歴史的にロープを使ったクライミングではオンサイトが最良のスタイルとされるが、これは「ロープなんて無しに体一つで自由に岩を登れたらどんなに素晴しいか」という先人達の願望をクライミングの理念としてきたにすぎない。この中にはクライミングには冒険性が必須のものであるという主張が見て取れる、しかし同時にこの主張ではロープが必要悪である事をみずから認めていることにもなる、

いうなればクライマ−にとってはロープは安全確保のために仕方なく使ってきた物、言ってみれば登山時代の名残りでしかないのだ。オンサイトルールにはコンペにおいての時間節約効果もあるが。登山時代の理念を守るという誰も言わない最大の理由が隠されていたりする、それは根底に「ロープなんて無しに体一つで自由に岩を登れたらどんなに素晴しいか」という前出の願望があるからだ、 一方ボルダリングにおいてはその願望は最初から実現されている、なにせ落ちてもゲームオーバーにはならない、またトライできるのだ、ゆえにボルダリングにおいてはオンサイトは決して最良なスタイルなわけではない。「高さ」から解放されたボルダリングにおいてはあえてオンサイトにこだわる必然性など実はあまり無い、せいぜい2回で登るより1回で登れたほうが偉いという程度の事でしか無い。

スポーツが本質的に自己への挑戦を含んでいるならば、ボルダリングにおいての最上の価値とは何万回トライしようがもっとも難しい課題を登る事なのだ。ボルダリングとリードクライミングとは使う筋肉からしてまったく異なるスポーツであり、ボルダリングコンペにおいてリードクライミングのルールをそのまま適用しようとすることは私の愛するボルダリングをつまらなくしてしまうことと同時に、 リードクライミングがリードたる由縁である「着地できない高さ」を捨ててしまう事でもある。 実は双方にとって不幸なことなのだ。「金がないから」といって思慮もなしにボルダーでリードコンペの出来損ないを行うことはフリークライミング全体を墓場に導くようなものである。このへんの理屈をメディアを始めクライミング界のリーダー的立場にいる人達にはぜひ理解してもらいたい。

従来のフリークライミングコンペの大きな問題点あれこれ。

 ここでは従来のリードコンペの欠点を少し述べておこう、それによって今のクライミング界のもり下がりが決して不況だけのせいではないことをあなたは悟るだろう、そしてこの章を読み終わるころにはボルダ−コンペが競技スポーツとしては現在のリードコンペより数段優れている事を納得するはずだ。

1.競技者自身が自らの安全確保を担当している。

これは言うまでも無くクリップの事。ランニングビレ−のクリップは純粋なクライミング行為とは無関係だ、ただ安全確保のために仕方なくやっているだけの事。これがなければクライマーは登ることだけに集中できる。はたして他に競技者自身が自分の安全を確保せざるお得ないような中途半端な現代スポーツがどれだけあるだろうか?ボルダリングならば多少危険なム−ブでも体操競技のように隣で手をひろげてサポートしてやるだけで競技者は競技に集中できる。

2.スピードが無い。

 たとえルート中に見せ場のランジを入れたとしてもそこまで登る間は今までと同じ、クリップの失敗による危険なフォールを避けるために要所にはガバをつけざるおえないため、時間ぎりぎりまでレストされたりするともう退屈で目もあてられない。(ちなみにクライマーじゃない友人をさそってコンペを観にいっても彼等はほとんど途中で帰ってしまう。)これに対してボルダリングは一般にム−ブが難しく長々とレストすることなどほとんど無い、しかもクリップから解放されるので課題にダイナミックな動きをふんだんに盛り込めるため、リードよりスピード感がある。

3.ルールがわかりずらい。
 基本的にデカイ壁を一人づつ登るので、観客は今までの選手がどのホールドを保持したかなんて憶えちゃいない。わけの分からないうちに順位が決まっている。

4.何が難しいのかやってみないと理解できない。

 いま持っているホールドがどれほどワルイかなんて10m以上下にいる観客(しかも素人)に分かるわけが無い、だって私もわかんないくらいだ。まして苦しむクライマーの表情も見えないので人間味もない。(もっともこれに関しては上部からビデオカメラででも中継してやれば良いのだが、あの大掛かりな大倉カップの時でさえやらなかったのだから、JFAはコンペをショーアップする気は初めからないらしい、楽しいのは登っている人だけ、そんなものをわざわざ誰が観に来るのか?まして金なんて払わない、客が来なきゃスポンサーもつかない、入場料もとれなきゃ選手達の出場料が高くなる、これがクライミング界の為になるのか?)対してボルダリングは高さが低く競技者の動きやホールドも目の前で見られる。

5.金がかかる。

 この不況時にデカイ壁が必要なことが一つ、そしてオンサイトの呪縛があるためそのデカイ壁を隠したり、隔離された控え室が必要で、ラウンドごとのホールドの組み換えにも手間と時間がかかる。挙げ句のはてにある程度の高さがある大きい会場が必要。

6.うまいヤツが勝つとナゼかおもしろくない。

 観客の多くが派手な墜落を期待しているのにうまいヤツは登ってしまう。一見ボルダリングも一緒のような気がするが、実は一般に素人の観客は流れるような美しいム−ブなんてあんまり期待していないのだ、ブルブル震える手でホールドを握り締め「ウガ−!」と叫びながら終了点をとり損ねて派手にぶっ飛んでいくアグレッシブなヤツのほうが見てて楽しい。(ボルダラーにはこういうヤツが多い?)

7.軽い子供が勝つ、この道ン十年のおじさんは泣く。

 オンサイトリード式のコンペだと一度で順位をバラけさせるためにどうしてもはっきりした核心部を作りにくい。(みんなそこで落ちちゃうと順位が付かないからね)するとどうしてもム−ブをこなすより持久力の戦いになりやすい、言ってみればガマン大会だ。そうなれば筋持久力に優れるか体の軽いヤツが勝つ、子供ばかりが勝つようなスポーツを、見る人がどれほどおもしろいと思うだろうか?

 

ボルダリングが優れていると言う理由 

チラっと挙げただけでも従来のリードクライミングのコンペにはこれだけの問題点がある。しかもほとんどが構造的な欠陥で事は深刻だ、対してボルダリングの大きな問題点として挙げられるのは必要なギアの種類が少ない為にメーカーや代理店、及びその広告がほしい雑誌社が商売になりにくいぐらいだ、まあこれは今ボルダリングの普及にもっとも大きな壁であるが反面、「少ない投資で始められるスポーツ」という大きなメリットでもあるのだ。どうだ、不況の時代にもピッタリではないか!しかもこの問題もボルダリング人口が増えれば自然と解決してしまうのだ。

このようにボルダリングはスポーツクライミングの理想形である。


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